別府で長い歴史を誇る別府ブルーバード劇場は、歴史的な価値はもちろん、いろいろな人の思い出がたくさんつまった宝箱のような映画館です。このページでは別府ブルーバード劇場の長い歴史をひも解いてみましょう。
岡村館長のお父様が、「子供にいい映画を観せたい」との思いから昭和24年に創業。岡村館長は学生時代からこの劇場を手伝いながら、大好きな映画とともに過ごしました。創業当時は一階平屋の映画館からスタートしましたが、二度の改修を経て、現在の別府ブルーバード劇場の姿となりました。
現在の姿となった二回目の改装から、岡村館長が二階部分の運営を旦那様と一緒に始めます。しかし、不幸にもその10か月後、心不全のため旦那様が亡くなります。突然のこともあり岡村館長はショックのため、つらい時期となりましたが、多くの人の支えを受け、運営を力強く続けます。多くの俳優や映画監督との交流を深め、数えきれない映画を上映してきました。
映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」は地元別府ロケということもあり、話題性が高く、非常に多くお客様が別府ブルーバード劇場に来館しました。
この映画の封切直前、監督や渥美清さんが別府に滞在しているという話を聞き、岡村館長は、お知り合いであった元市長脇屋さんの薦めで、監督に渥美さんの舞台挨拶を依頼したのです。当時女性館長は岡村館長だけと非常に珍しいこともあったためか、監督、渥美さん共に快諾して頂けたのです。
舞台挨拶の際は、あの「寅さん」がいらっしゃるということで、会場はもちろん大盛況でした。さらに脇屋さんが渥美さんにそっくりであったことから、脇屋さんも舞台に「兄弟」という演出で登場し、大いに会場を沸かせたのです。
これがきっかけか、脇屋さんは市長選に見事当選。そこにすかさず岡村館長はチケット1000枚を市役所の職員さんへ売りに。見事完売することができたそうです。人のつながりと、偶然が生みだしたちょっと素敵なエピソードがありました。
以前、とある映画の撮影に別府ブルーバード劇場が使われることになったことがあったそうです。岡村館長は映画になるのであればと、歴史ある数々の機材や機材室を綺麗に掃除しました。よし!これで準備万端!と思ったのですが…。
いざ撮影の当日になると、監督の反応がおかしい…。なにか問題があるのかと思い尋ねてみると、「掃除されてはこまる。あの古く歴史ある感じが良くてここを選んだのに。」とのこと。結局、美術担当の方が改めて古く、歴史ある演出のため、「汚す」作業を行ったそうです。
岡村館長はびっくり!掃除をしたことが裏目にでてしまいましたが、別府ブルーバード劇場の歴史の価値を改めて再認識されたそうです。
吉永小百合さんの映画を上映した際、3月の公開であったこともあり、写真展と雛人形の展示という催しを行ったそうです。さすがは岡村館長、これだけでは物足りないと、来館者に昆布茶をふるまい、映画だけでなく別府ブルーバード劇場も楽しんでもらうようなサービスを行いました。
これが非常に好評で、お客様から「こんな素敵な映画館ははじめて」とお褒めの言葉をいただいたそうです。お客様の笑顔が何より心地よい催しになったそうです。